最近増えている「ペット葬」…でもほとんどが仏教式?
ずっと一緒に暮らしてきたペットが亡くなるのは、耐えがたいほどつらいことです。
筆者の愛猫ベンジャミンも現在17歳と高齢な上、14歳の時には病気で明日死んでもおかしくない状態となったことがあるため、他人事とは思えません。
また高齢でなくても、筆者の親戚宅に飼われていた4代目ゲンタは、5歳になる前に突然の心臓疾患で急死してしまいました。
せめて葬儀は人間と同じようにしてあげたいと思うのは、ペットを「家族」と考えるなら当然のことでしょう。
ところが「ペット葬」でネット検索してみると、上位に出てくるのは仏教式が多いことに気付きます。
キリスト教を信仰している家で飼われていたペットが亡くなった場合、葬儀は教会では行わないのでしょうか?
キリスト教では「救われるのは人間だけで、動物は天国へ行けない」と考える
筆者もいくつかのキリスト教会に通った経験がありますが、人間の葬儀が行われていることはよくあったものの、ペットの葬儀が行われているのを見たことは1度もありませんでした。
仏教の寺院の敷地内に「ペット霊園」を設けてあるところが多いこととは、実に対照的です。
クリスチャンの中にも、キリスト教の教会でペットの葬儀をしているのは見たこともないし、聞いたこともないという方が多いようです。
これには、仏教とキリスト教の教義の違いが影響していると思われます。
仏教では、人間だけでなくすべての生き物は「六道輪廻」といい、生まれ変わりを繰り返していると考えられています。
そして死んで次の世界に生まれ変わるときに人間となるか動物となるかは、前世の行いで決まるとされています。
すべての生き物には「命」があり、そこに重い・軽いの差はありません。
日本人の私たちは、食事をする前に「いただきます」と言って手を合わせますよね?
それは、自分が生きるために動物であれ植物であれ「他の命」をいただかなくてはならないからこそ、その命に対して手を合わせているのです。
しかしキリスト教では、そうではありません。
人間だけが「神に似せて、神に特別に選ばれて作られた存在である」と考えます。
あるクリスチャンは、新型コロナウイルスの流行で愛猫を案じる筆者に対し、このように言いました。
「あなたの命の価値は猫と同等だと思いますか?私は絶対にそうとは思いません。聖書の言葉からもそう思います。
(人間である)あなたの尊厳の方が、どんな可愛い大切な動物よりもあると思いますよ」
つまり有事においては、ペットの命は「二の次」と考えるクリスチャンもいるということです。
(筆者には、この考え方はとても受け入れることができませんでした!)
ですからクリスチャンの家庭で飼われていたペットが亡くなった場合は、直接火葬場へ行き、遺骨を持ち帰って庭に埋めるのが普通だったようです。
最近は「キリスト教式のペット葬」も行われている!
しかし近年では、キリスト教のペット葬への考え方にも変化が起こってきています。
人間同様にペットの葬儀を行うキリスト教会も現れましたし、「教会セレモニープラン」を選択できるペット葬儀社もあり、利用者に喜ばれているそうです。
確かにクリスチャンの中には「ペットの命は人間以下」と考える方もまだいることは確かですが、一方で
「犬も猫も神様の被造物であり、神の国に位置を持っている」
と考えるクリスチャンも増えているのです。
大切な家族のために、できる限りのベストなお見送りをしてあげたいものですね。
【参考】
・愛するペットが逝ったとき
・ペットのお墓は自分と一緒に|死んだペットの後生はどうなるの?
・日本初の教会プランも 「ペットPaPa」が提案する世界でたった1つの手作りペットセレモニー
![]() 人間と違って、犬や猫などのペットには、公的健康保険がありません。 |

さわの唯

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